さおたむの激情派劇場

道なき茨道を超絶幸せに爆走する生き様を。

好きに生きればいい。どうせ嫌われるのだから。

f:id:uuvum35:20180817163429p:plain

 

 

「若いのによく周りをみて気が遣えるね」

昔からそうやってよく褒められるのが嬉しかった。

だから余計周りを見て、気を配るようにしてきた。

 

「いいやつだよね」

そういわれたら認められてるような気がした。

だからいいやつでいようとした。

 

「ノリがよくておもしろいね」

そういう自分が求められていると思った。

だから基本的にノリよくするようになった。

 

「人生本当に楽しそうだね」

そういう自分が素敵に見えると思った。

だからいつも楽しそうに笑っていることにした。

 

 

そうやってずっと生きてきた。

 

でも本当は、そうやって生きるのは苦しかった。

 

 

嫌われるのが怖かった

最初は違った。

ただ普通にしているだけで周りが勝手に評価してくれた。

 

褒められた後は違った。

そういう自分が認めてもらえるということは、そういう自分に価値を感じてくれているということは、それと正反対の部分は嫌われるのではないか、無価値なんじゃないか、そう思った。

 

だから、一生懸命。

そのイメージ通りの自分でいれるようにした。

 

 

「気が利くね」と言われれば、できるだけ周りをみて気が利く自分をいつも以上に演じるようになっていた。

たまにハメを外しすぎて周囲を気にせず自分が楽しんでしまった次の日には、もう嫌われてしまったんじゃないかとかがっかりさせてしまったんじゃないかとか思い悩んだ。

 

こんな私を「尊敬している」と言ってくれる人の前では、弱音なんか一切はかず、いつもポジティブな自分でいるようになっていた。

どうしてもネガティブに支配されてしまう日には会わないようにした。

 

 

それはもう意識なんてしなくても。

自然とそうなるほど癖になっていた。

 

そうした日々をずっと送っていると、どんどん自分がなくなっていくようで、自分が何者なのか分からなくなるようで、苦しかった。

誰も会わずに家にいる時にはもはや抜け殻のように、何も考えられなくなっていた。

 

 

けれど。それでも。

嫌われることを想像するともっと苦しかった。

 

その人達にとって価値がない自分になってしまえば、必要がなくなってしまえば、簡単にそこをつなぐ糸を切られてしまうような気がして。

 

大切に想う人達が自分から離れていってしまうことが何よりも怖かった。

 

 

何をしても賛否両論ある

この2ヵ月、たくさんの人と新たに出会ってきた。

その中で自分に対してのいろんな評価を肌身で感じた。

大切にしたいと想う人達もたくさん増えた。

 

みんな想う事も感じることもさまざまで。

それでも私にとってはみんな大切にしたい人たちで、離れていってほしくない人達だから、みんなに嫌われないようにって意識するようになった。

 

そうすると、誰といる時も全部本当の自分でありながらも、本当の自分ではないような気がしてきて。

大好きな人たちに囲まれて幸せを感じた後には、この幸せな場所ははいつかきっと自分の違う部分が露呈された時にはもうなくなってしまうような気がして無性に怖くなってさみしくなって。

 

 

怖いという想いが強くなってきてから、私はしばらくブログをかけなくなった。

 

 

このブログ1つをとってもそう。

「読んでいておもしろい」「この言葉に救われた」と言ってくれる人もいる反面、「偉そうに何言ってるの」「何がしたいの」と批判的な意見もある。

 

じゃあその批判的な意見をすべて尊重して変えたところで、元から評価してくれていた人に逆に批判されるようになってしまったりすることもある。

 

 

結局、何をしても賛否両論ある

 

必ず全ての人に評価されることはないのだと思う。

 

 

 

どうせ嫌われるのなら

何をしたって、どんな自分でいたって、必ず誰かには嫌われる。

どんなに大切に想っていたって、ずっとつきあっていきたい相手だと思っていたって、相手がそう思わない日がくれば離れていく。

こちらが親切でやったことだって、相手にとっては迷惑になることもある。

 

 

それならば、いっそのこと自分の好きに生きればいい。

 

 

今以上に嫌われることも増えるかもしれない。

大切な人がこぞって離れていくかもしれない。

 

それでも、きっとそんな自分を好きになってくれる人もいるはずだ。

そんな自分を大切に想ってくれる人も現れるはずだ。

 

 

だいたい少しくらい悪いところが見えただけで離れていくような、自分を無価値だと判断するような人は最初からあなたのことを大切になど思っていない。

ただ自分に都合がいいから傍にいただけなのだ。

 

そんな都合のいい人のために自分の労力を割いて、大切に想って、都合のいい自分でいて、そうじゃない自分の存在を隠して、苦しむ必要なんて全くない。

 

 

逆に、大切にしたいと思ってくれている人がいるとすれば

その人に嫌われないようにと一生懸命なことの方が失礼ではないだろうか

 

その人はもしかしたら、そんなダメなところも含めて大事に想ってくれているのかもしれないのに。

その部分をダメな部分なんて思ってすらいないのかもしれないのに。

勝手にダメだと決めつけて自分を隠してその人に接するということは、そんな想いを勝手に疑い、その人自身を信じていないことになる。

 

 

 

自分にも人にも誠実にいればいい

自分と同じ価値観の人なんて存在しない。

だから何をしていたって、何を言ったって、嫌う人も煙たがられることもある。

 

 

だったら好きに生きればいい。

 

 

けれど自分が好きに生きることで誰かを悲しませてしまうこともある。

大切にしたい人を傷つけてしまうこともある。

 

そんな時は心を込めて謝ればいい。

大切だって想いを素直にちゃんと伝えればいい。

相手の想いも理解するために向き合えばいい。

 

 

その方がよっぽど自分にも人にも誠実だ。

 

 

もしも、本当にあなた自身を大切に想う人であれば、あなたの一部分だけであなたをいいところだけで評価をせずに、悪いところも含めたあなた自身を理解しようという姿勢をとってくれるはずだから。

 

 

 

それでも嫌われるかもしれない。

分かってもらえずに離れていく人もいるかもしれない。

その時はその人の自由を許せばいいのだ。

 

 

自分が好きに生きるということは、

相手だって好きに生きていいのだから。

 

 

 

大切にするということはきっと

自分に都合のいい部分だけを受け取ろうとするのではなく、

都合の悪い部分も含めたその人自身を受け止めるということ。

 

それを相手にだけ求めて自分は好きに生きるのは

好きに生きるということではなく、単なる我儘だ。

 

 

 

 

それでも。頭では分かっていても。

大切な誰かが離れていくのはつらいし苦しいかもしれない。

けれど、自分の心を殺して生きて、それでも誰か大切な人を失うよりもよっぽどましなはずだ。

自分の心には素直に生きているのだから。

 

 

 

そしてそんな素直に生きる自分を大切に想う人がもし現れてくれたなら、それほどありがたいことはない。

その想いに、その存在に心から感謝をして変わらずその人にも自分にも誠実に生きればいい。

変にその人に好かれようとしたり、嫌われないようにする必要はない。

 

 

どうせその人にも嫌われる時は嫌われるのだから。

 

 

 

 

 

過去のおススメ記事はこちらから

 

www.saori-arisu.com

www.saori-arisu.com

www.saori-arisu.com

www.saori-arisu.com

www.saori-arisu.com