さおたむの激情派劇場

道なき茨道を超絶幸せに爆走する生き様を。

形にならない名前すらない無意味で無価値な叫びを芸術と呼びたい

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とにかく言葉にならないんだ。

湧き上がってくる感情はたくさんあって、それはもう整理する順序が間に合わないほど、いろんなものがどんどん浮かんでは輪郭がはっきりする前にぼやけていく。

何が原因とか、どういう状態なのかとか、説明しろと言われたところで、自分だって形にできるほど認識できていないからそんなこと無理で。その周りからの言葉ですらよけい重圧になっていって。

うまくできない自分が苦しくて、悔しくて。呼吸が苦しい。目の前の世界がにじんで歪んで。まっすぐ捉えることができない。

自分という存在にすら価値を感じなくなっていく中、聞こえてくる正論と昔から自分の中に植え付けられてた常識といううすっぺらい事実に自分が押しつぶされていくような。

 

表現できなかった言葉たちが。その形にならないまま徐々に自分の体の中に積もり積もっていって、だんだんと自分を蝕んで、触れたその部分が化膿して腐っていくような。異臭を放ち、内部から少しずつ消えていって。

そして気が付いた時には突如としてその元の状態を保てなくなって大きな音をたてて崩れていった。

その音を聴きながら、どうしようもない無力な自分は何もできなくて、ただその現状を静かに把握しながら一人で笑っている。たった一人の狭いワンルームの部屋で。定位置に座りただひたすらに画面を見つめながらDELETEを連打する。

 

形をとどめているふりをするのは生憎得意だった。悲しいかな。無情なことに。

もうそれは意識することもなく、反射的にできるほど、小さな頃から身に沁みついているようだった。いや壊れているからこそできたのかもしれない。もうそこに決まった形はないのだから。その真相は今の私には分からない。

けれどそうするには想像を遥かに超えるエネルギーを要した。

1から2を作るのと、0から1を創るのでは全く違うことを体感で知った。

 

消えないんだ。あの日の情景が。あの時言われた言葉が。自ら発した言葉が。哀しみが。後悔の念が。懺悔が。苦しみが。もう生涯消えることのないであろう傷がもう治ったはずなのに痛むんだ。

もうすべてがもう遅いことも分かったうえで、昇華したつもりだった想いさえもすべてが何もしていない日常で襲い掛かってくるんだ。

もうすべて消したいのに。逃げ出したいのに。どこまでも追いかけてきて。消そうと必死になればなるほど消えていくのは日常の記憶ばかり。

だから毎日その目の前に映し出される幻想に向かってひたすら謝罪をしながら、気づいたら感情は動かないまま涙があふれて、どうして流れ出したのかも分からないその水をただ無心で拭う。そんなすさんだ毎日から逃げ出したかった。

 

どれだけ問いかけても答えがあるわけのない「どうして」「なんで」がずっとぐるぐると回り続けて混ざり合うほどぐちゃぐちゃになって、そんなものをどう表現すればいいのか。

けれど吐き出さないと吐き出さないと蓄積されたナマモノを抱えた器をどう処理したらいいのか。じゃあどこに、どうやって。ほら。もうわからない。

どれだけ繰り返したってそこに応えはない。

残念なことに私はアーティストでもなければ芸術家でもない。そんな才能を持ち合わせてこの世に生は受けていない。ただの普通の人間であるわけで。

このマグマのようなどうしようもない物体を綺麗な形にして昇華したり誰かに届けるなんて、そんな手段なんて持ち合わせていない。

 

こんなぐちゃぐちゃでもきれいな形にできれば受け入れてもらえるのだろうか。形を求めるこの世の中で。

このザラザラしたこの触感もべたべた纏わりつく内側も少しずつ壊れていくこの音も。

実際には私にしか感じられない私だけのものなのに、形にして外側に出すと何も分からない奴らに勝手に評価されてカテゴライズされて割り振られて。

何でそのままを受け取ろうとしないのか。自分の物差しだけで勝手に簡単な言葉にまとめてしまうのか。その言葉に、その分類になんの意味があるのだろう。

君はきっと自分には分からない景色や世界があるのが怖いのだろう。だからといって分かったような顔をして、自分の認められないものは存在していないことにして、抹消しようとする。けれどいくらそうしたって存在は消えないのだ。どれだけ怖かろうが避けようが完全に消すことはできないのに。形になるものだけにしか価値を感じないならそれでいい。けれど誰かにとってはもしかしたらそれは価値のあるものであることもあるかもしれないという事実が存在してもいいはずだ。

誰かに理解されるものではないと価値がないとすればこの世界はなんて面白くないものになるのだろう。意味のないものに意味を見出すことの何が悪いのだろう。

そんな無駄だと排除されるものですら、私は愛しているのに。その愛は。その愛を。勝手に無駄だと無価値だと断絶されるのであればもう。もはや。哀しみを抱えて泣きながらでも、それでも私の大切を守るために立ち上がるしかないのに。そんなこともできなくて1人その小さなものを抱きしめてただただうずくまって少し休んだら歩き出すしかない。

 

孤独は怖い。拒絶は怖い。批判は怖い。

けれど私しか感じられないこの感触も捨てられないのだから。この汚くて黒いドロドロすらも愛してしまっているのだから。というかどんなに嫌おうがこれも一部であり、存在を消す魔法の呪文と私は出逢っていないのだから…

方法がないのだから。こうして生きるしか道は残されていない。壊れていかないように。守る為に。生を続ける為に。

理解されなかろうが、分類され批判され拒絶されたところで、なかったことにはできないのだから。表現して昇華するしか私は方法を知らない。その表現方法を私は言葉しか知らない。だからこうするしかない。

誰かに分かる言葉では伝えるなんて高度なことはできないし、きっとそんな技術があったところで大半の人には共鳴するような叫びではないことは生を受けてからのこの短い時間でもすでに知っているような気がしている。

 

伝えたいことなんてわからない。今日食べたいものもやりたいことも欲しいものも耳にしたい言葉も大切にしたいものも自分のことも分からないのにそんなことが分かる訳がない。

大事にしたいものを大事にしてその存在が手の届かない所に消えてしまうのが怖いからそれならもう何も大切にしない方が幸せなのではないかと思うほど。けれど勝手に無意識に大切にしたくなってしまうから日々恐れという見えない敵と闘いながらも震える手を伸ばし慄き激しく壊しびりびりに破き火をつけて燃やしその灰を眺めながら涙を流し静かに笑い心で繰り返し謝りいつか永遠なんて奇跡が起こることを祈る。

誰かに届くことを願いながら誰の目にも触れないことを臨みながら。

ただ形にしてあげたかったのだ。形のないものとして形として存在していることを認めてあげたかった。ただそれだけ。

そんな無意味な衝動的な言葉があってもいいのではないか。どこにも所属しない名前のないそんな自由な表現があってもいいはずだ。綺麗じゃなくても。

そんな誰かの叫びに理由なく居心地の良さを感じて救われて私は形を保って居られているのだから。

 

 

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