はぴねすくるー

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芸術家になると決めた深まる秋の星月夜

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昔から芸術家になりたいという願望が強かった。

憧れる職業は自らの人生をかけて発信しつづけるアーティストばかりだった。

 

 

けれど私は小さな頃から悟っていた。

自分の才能のなさ、可能性の低さを。

いろんなチャレンジをしてきたものの、そこに関してだけはどうしても飛び込めない領地だった。

 

センスが良くても才能はない

よくいろんな方から

「センスがいいから」

そんなことを言われる度に怖かった。

 

センスとは何を持っていうのか。

どれだけセンスがよくてもそれだけだと中途半端だ。

絶対的な才能がないと輝けない世界。

そんな意識が潜在的に染み付いていた。

 

凡人なのは分かっている。

 

けれど。それでも。

私は表現することが好きだったし、それが生きる糧であり、私の全てだと言っても過言ではない。

 

そういう形でしか生きれないからこそ

生き様の表現を生業とすることに憧れた。

だから私は芸術家になりたかった。

 

というか

芸術家でありたかった。

 

 

芸術家の定義と出会った秋の夜長

ある夜、深まる秋と夜に黄昏ている最中。

出逢ったひとつの記事。

彫刻家の方々が書いていたブログの1つの記事だった。

 

ニューヨーク市には芸術家証明書というものがあり、発行するにあたってのプロの定義が載っていた。

 

1.商業的芸術ではなく、純粋芸術    ─すなわち絵画、彫刻、振付、映像、作曲等その他を含むもの─  の創作を不断に進行させている個人。

 

2.自己の表現形態に真剣かつ不断に傾倒してきたことを証明できる個人。

 

3.現時点でも、その表現形態に専心、従事している個人。

 

つまり、芸術家とは

それで生計を立てている人でなく、絶対的な才能がある人でもなく、

純粋に表現や創作に向き合う人のことを指すわけである。

 

この定義には感銘を受けた。

 

 

 

自らを自らで定義する勇気

自分が何者か、それを定義して表現するのは自分自身である。

自分で決めて自分が名乗ればそれは真実になるわけである。

 

 

私はそういう気質を持っていると自負している。

この生まれ持った感度の高い感受性のアンテナは普通にこの世界で生きるのは生きずらいのだ。

受け取り噛み締め創り出した世界を表現し形として、芸術という名前をつけることで昇華することで私は私でいれるのだから。

 

 

 

そうして、私は自らを芸術家だとすることにした。

 

 

必要なのは自分でそう定義し名乗る勇気。

それだけなのだ。

 

 

才能がないことは重々認識している。

今の時点では。

 

 

ただ、才能とは継続することで生まれるものだと誰かが言った言葉が頭の片隅に残っている。

 

継続しないとその有様は全貌を表さない。

 

いつ開花するのかは分からないその花に、懲りずに手をかけ愛情を注げるか。

その根気強さと過度の情熱が重要なのだ。

 

それだけ人生をかけてやっていることだからこそ、何故か分からないけれども人の心が動くような作品ができるのだと思う。

 

 

 

夜半の秋に。芸術を。

こんな感覚になるのは秋というこの特殊な季節が影響しているのかもしれない。

 

冷たくなってきた秋風。

綺麗な夕日や紅葉。

日に日に長くなる夜。

 

漆黒の星月夜にはその眩く消えそうなその小さな光に思いを馳せて空を眺める。

ちっぽけながら光を放とうとしている自分自身と重ねながら。

 

 

静かな心の中で繰り返し呟く。

 

 

才能は継続であり

センスは磨くもの

 

 

ただその想いを信じていようと思う。

 

いずれ私は違う道にも進むだろう。

それもひとつの夢であり目標だから。

 

それでも芸術家としての一面はいつまでも変わることなく磨き続けていたい。

いつか誰かの目に留まり心を動かすような花を咲かせられる日までは。

 

 

そんな新たな生き様の幕開けににこれほど適した時期はないだろう。

 

今年の秋には始まりの合図を拝命しよう。

 

秋が深まるように。

感性や表現を深める日々を。

 

そしていつか

誰かの暗闇をも自らの輝きで照らせる星となろう。

 

いつかの私が想いを馳せた星月夜のように。