はぴねすくるー

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穢れのない白に押しつぶされそうな日には

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「白」とは、穢れなき正しさの象徴だと思う。

 

真っ白という色は肯定的で美しく尊く、均等で正しいものを表現する際に使われているような気がする。

 

 

結婚式の最初は大半の人が純白ドレスか白装束を着るし、大半の人は女性の白い肌を高く評価する。

白黒つけるなんて言葉では白は正しい方を指すし、おとぎ話でさえも王子様は白い馬に乗ってくる。

 

不思議なことに、

この世界は白を貴重だと崇めているらしい。

 

 

世界は白だけで構成されない

白に対して憧れがないと言えば嘘になるだろう。

穢れなき真っ直ぐでどんなものにも染められそうなその色は控えめでそれでいて存在感があり凛としている。

 

 

 

けれどこの世界は白だけで構成されることはない。

 

本当に様々な色がすぐ手に届くところにありふれ、我こそはと主張し合う世界で、元の色は何かと探りながら、いろんな色に塗れながら私たちは生きていく。

 

そんな中、対等的な均等なバランスを保つのは本当に難しいことだ。

 

 

白とは簡単になれる色ではない。

 

 

だからこそ人は高い希少価値を白に与えるのだ。

 

 

 

 

白の追撃と重み

真っ白な部屋。白い蛍光灯の光に照らされ、何をするわけでもなく1人うずくまる。

 

そんな日。

 

真っ白な壁がこちらに向かって近づいてきて、自分を押しつぶしに静かに牙をむいているような、そんな錯覚に陥ることがある。

 

まるでだるまさんがころんだをしているような、何度も何度も追撃の機会を伺っているような。

 

 

そんな不可思議な幻を体感する時は、決まって自分自身が白と相反する状態であるときだ。

というより、周囲の人から見ればそう見られていると自覚している時ではないだろうか。

 

 

世間の正しいに背いて生きている時。

自分自身はそれが正しいかなんてまだ分からずに、暗闇をさまよいながら答えを模索し、道無き道を歩いているような気分の時。

 

 

そんな時の白は重たく心身にのしかかる。

 

自分の現状を己の中ですら正解にできるほどの確信も自信も持ち合わせてはいないのだから、もはや完全にはね返すことすらできないのだ。

 

 

周囲が向けてくる白い視線や正当な正論による批判は、事実か否かを通り越して常に重くのしかかってくる。

きっと半分は本当で、半分は自分の中で捏造された虚像だ。

ただ、自らの頭の中で存在しているのであれば、周りが自覚がなかったとしても当人の中でそれは全て真実となるのだ。

 

それは一種の白に対する劣等感やジェラシーかも含まれているのかもしれない。

 

 

 

白からの逃避

己が何色であるかすら判別できないほどの心理状態の時。

そんな万全ではない状態で白と真正面から闘うことは難しい。

 

だからそういう時は逃げるのだ。

白の追撃に背を向けて。振り返ることなく。

ただひたすらにどこか分からなくても足を前に進めるのだ。

 

この世界にはまだ自分の知らない素敵な色がたくさん溢れている。

だから何色か分からなくても、行き先など決めずに、様々な色に偶然出逢えばいい。

 

正しいとか、正しくないとか、白いとか、白ではないとか、そんなものはどうでもいい。すぐに捨てればいい。

 

 

穢れのない白を矛とし、盾とするような人間は自らを白だと主張して追いかけてくるだろうが、他社から見ればその人ですら白ではないのかもしれないのだ。

だって均等で均等な白は正しく凛として誰しもを包み込む色であってもいいはずなのに。

その絶対的な強さを知って、武器としての使い道を選んでいるのだから。

それは1つの形であり、その人自身を表す色ではない。

 

 

だからこそ。

白の正当性が迫って来た時には、そう感じた時には、盲目的に逃げるのだ。

 

 

 

有する色に優劣はない

いつの日か、1人で電車に乗った時、目の前にいた2歳くらいのベビーカーの子どもが満面の笑みでこちらを見てきた時、こう思った。

 

相手がどんな人物なのかや自分にとっての損得を忖度することなく、何の意図もなく、その表情を向けれるほど、自分はもう白ではなくなってしまっているのだ、もう穢れてしまったのだな、と。

 

その時はそんなことが何だか少し悲しく、小さな子どもが羨ましく、少しだけ外の車窓が滲んで歪んで見えた。

 

 

きっとどれだけたってももう戻れない白への憧れは捨てれないのだろう。

けれどそれは価値が高いからではない。

ただ単にその白の魅力に惹かれている部分があるだけなのだ。

 

1つ1つの色に優劣はない。

人々が個々にもつ違ったその色に、勝ち負けなどまるでないのだ。

 

それぞれに異なる魅力があり、それに序列はない。

 

 

人生はそんな自らのもつ色を見つけ、その色に光を磨き輝かせるために、

最初から終わりがあるということが分かった上で時間を与えられ、幾多の経験を重ねるのかもしれない。

 

 

最初から完成している必要はなければ、何色であっても何色になっても、どれも正しくどれも美しい。

 

 

 

もしかしたら突如前触れもなく襲ってくる白の猛攻撃は、普段は忘れている自らの色の美しさに気づき、愛する時間を日常に組み込むために必然として起こっているのかもしれない。

 

 

 

そんなことを考えるのは結局、1人でいるのには適当より少し広く感じる、四角い真っ白な箱の中だ。