はぴねすくるー

恋愛も、家族も、仕事も。全部楽しみたい人の為の欲張りな生き方推進委員会。

斜め読みできない自己満足か分かりやすい共感か

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自分でも分かっている。

 

これはただの自己満足。

 

 

自分の中にある頭の中にある感覚を言葉にしようと思うと、2通りの表現の方法があって。

 

自分の中にある言葉もない言葉も使って忠実に再現を形とするのか、誰でもが受け取りやすい言葉に変換して理解を促すのか。

 

別にどちらもすることができる。

 

その上で選ぶ価値観としては何をしたいのか。

何を目的としているのか。

だと思う。

 

 

最近の表現はきっと自己満足だ。

だからといって共感を全く求めてないとか誰かに何かを伝えたいと思っていないとかそんなことは全くない。

 

そのままのこの感性を誰かに伝えたくて、理解してほしくて、けれどそんな分かりやすい簡易な言葉で示すのが嫌で、そういう形をとる。

 

そのまんまを誰か理解してくれないのかという実はそれまで深層に隠してきた叫びなのかもしれない。

 

そんな言葉で表す僕の自己満足でなにかできないのかなんてそんな勝手な自己中心的な発想だ。

 

 

別に斜め読みできるような読みやすいものだって作れるのだ。

そしてその方がより誰かに伝わることも分かっているのだ。

こんな忙しない毎日の中で、誰だか分からない1人の言葉を体に侵入させるとすれば、いちいち考えないと分からない言葉であるよりも、すっと入って浸透する方が望まれているのだろう。

 

だけれどそんな簡単に取り入れられた言葉は簡単に体から排出されなかったことになってしまうのも早いのではないかという想いもあるのだ。

 

その一瞬忘れていたとしても、何かどこかに引っかかるような重たさを持たせていつか何かのタイミングでそれを思い出してどこかで役に立たないものなのか。

そんなことを思うと、どうしても表面的な言葉ではなく、僕の魂を込めた言葉を伝えたいと思ってしまう。

 

商業的に考えれば大多数に迎合するほうが正解なのだけれども、そんな分かりきったことを心から分からないでいるのは、僕の自己満足が邪魔をするからだと思う。

 

僕は僕の選ぶ言葉が好きだ。

ただそれだけでこの言葉を、この表現を選ぶのだ。

もはや自己満足と認識した上でこうして綴るのだ。

天邪鬼だ。

 

けれど、その自己満足のせいで誰にも届かず宙に浮いたままになればそれはそれでただ1人踊る阿呆だ。

 

だからこそ誰かに向けてやはり届けていかねばならない。

 

 

 

極端なことではない。

そのバランスをどう保つのかなのだ。

白でも黒でもない。そして灰色でもない。

特にそこにのせる色を敢えて選ぶ必要はないだろう。

 

 

共感の時代には何が共感の鐘を震わすのかそんなことは僕にはわからない。

分からないけれどもできることは、誰かに向けてただひたすらに伝え続けるということだ。

いつか伝わることを信じて、けれどもその方法を模索しながら。

 

自己を貫く強さと素直に何にでもなれる強さと。

 

その2つのバランス感覚を持っている人こそがこの世界を思うがままに歩いて行ける人なのかもしれない。

 

矛盾を成立させられる人。

その真の目的だけを信じられる人。

そんな人に僕もなりたい。