さおたむの激情派劇場

道なき茨道を超絶幸せに爆走する生き様を。

【かなしい思い出】けれどあの時も、ちゃんと幸せだった

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何があったわけでもないけれども、

なんとなくinstagramの過去のストーリーを見返した。

昔の自分が上げたその時の一瞬の情景を切り取った短い15秒の動画。

 

その中には、たくさんの笑顔が詰まっていた。

今はもう振り返ることすらできなくなっていた、あの哀しい時期も。

僕は笑っていた。

 

 

哀しい想い出

哀しい出来事が起こると、人はそのことを思い出す出来事すべてを哀しい思い出として記憶してしまう傾向があると思う。

 

 

脳は想像することに関して時間軸がないという。

だから現在も未来も過去も認識することができないのだ。

 

思い出すことによって、今はその現実がないことがより現実的に認識される。

その時に想像した未来も、もうここには実現しないことがより実感されるのである。

 

 

その時が楽しければ楽しかった分だけ。

楽しかったという事実を消して、つらかったことや悲しかったことばかりが再現されるように記憶を捻じ曲げていく。

それによってあの頃に戻りたいなんて思いを抱かないように、嫌悪感や怒りされ抱くようにすることだってあるだろう。

 

 

戻れないのではない、戻りたくないのだと自分に言い聞かせるために。

 

 

 

しまいこんだ思いはトラウマに

そんな哀しい思いはもう二度と繰り返したくない。

大半の人がそう思うだろう。

だから人は自分の経験を軸にして、その後の教訓を生み出す。

その教訓に基づいて今後の行動を決める。

 

だから過去の哀しい記憶と同じような状況になった時、迷う。

 

その時と状況も人もまるっきり違うことだってわかっている。

 

けれどまた同じようなことにならないか?

また哀しい想いをするんじゃないか?

 

 

そんな言葉が頭の中をよぎるようになる。

 

それはリスクを避けてより正しい結論を導き出すために学習しているとも呼べるだろう。

ただ、そのことで素直に人のことも自分自身のことも信じれなって勇み足を踏んでいるだけという捉え方もできると思う。

 

哀しみも避けることができるけれども、同時にその先にあるかもしれない素敵な景色も共に避けることになる。

 

以前に感じた哀しみが深ければ深いほど、それをしまいこんだだけ、それは強い想いとなり、トラウマとなっているため、より前に進めなくなるのだろう。

 

 

 

哀しいことだけではなかったはず

失恋した時。失敗した時。離婚した時。

哀しいことといって思い出すのは人それぞれだと思う。

 

その出来事だけを見れば、哀しくてない方が幸せだと思えるだろう。

 

けれど、振り返ってみてほしい。

 

一瞬も幸せな瞬間はなかっただろうか?

 

 

私は、幸せだった。

あれだけ哀しい出来事だとして、恐れもう振り返ることを避けてきたあの時期。

 

 

 

映像の中の私はとても幸せそうな顔で笑っていた。

誰がみても幸せだとわかるような顔で笑っていた。

 

あの時、私は心から幸せを感じて過ごしていたのだ。

その一瞬一瞬の幸せは事実だったのだ。

 

私は悲しい出来事を機に、すべてなかったことにできればいいと心の中にしまい込んでいただけで。

 

 

 

哀しみを避けるだけの選択

 

もう繰り返したくない。

ずっとそう思っていた。

そう思うことで、私は哀しみを避けてきた。

けれどそれと一緒にあの頃のような幸せな笑顔すらも遠ざけていたのかもしれない。

 

 

本当はまた人を信じたいと思っていた。

また、人を純粋に愛したいと思っていた。

 

けれども、怖かったんだ。

また失う哀しみを味わうのが。

また傷ついて歩けなくなるのが。

 

 

だから、遠ざけたんだ。

信じれなくなったのではない。信じなかったのだ。

愛せなくなったのではない。愛さなかったのだ。

 

自分で過去の記憶にとらわれて、哀しみを避けるだけの選択をしていたのだ。

 

 

 

大丈夫。幸せはちゃんとある。

本当はどうしたいんだろう?

 

自分に問いかけてみると、答えはおのずと見つかるだろう。

 

過去の経験から学び、改善することも大事なことだ。

だけれども、そんな一度や二度の自分の小さな経験にどれほどの価値があるのだろうか。

 

だってその時とは何もかもが違うはずだ。

状況も違う。周囲の人も違う。

そしてそれ以上に自分自身が違うはずだ。

 

 

そんな過去の幻想に囚われて、自分の本心に従えないなんて悲しいではないか。

予想できる哀しみを避けるだけで、自らそれ以上の大きな幸せをつかみに行けないそんな受け身な人生であなたは満足できるのだろうか。

 

 

世界は自分が思うより広い。

自分が知らない未知の世界なんて数知れずある。

まだまだ自分が見えていないだけの景色があるはずなのだ。

そんな景色を見てみたいとは思わないとあなたは断言できるのだろうか。

 

 

自分の心はどうしたいのか。

そんな奥底から湧き出るその想いに素直に従えばいい。

 

 

また哀しい出来事が起こってしまうなんてくだらない心配をすることはない。

哀しい出来事は何をしたって起こりうるのだ。

 

 

幸せな時間はちゃんと存在する。

哀しみしかないことなんてないのだから。

 

ただ1ついえるのは、

自分の経験上だけで決めた決断では、自分の想像できるほどの幸せしか訪れないだろう。

けれど、自分が想像できないような挑戦をした先には、自分が想像できないほどの楽しい時間が待っているのかもしれない。

 

 

どちらを選ぶかは、すべてあなた次第。

 

 

 

感謝をして次に進もう

一時期、哀しみに心を囚われてしまい、もうすべてなければよかったとも思ったし、周りの人を恨んだりしてしまったこともあった。

 

けれど時間がたった今、やっとそのすべてに感謝ができるようになった。

 

 

あの時、本当に毎日抱えきれないほどの幸せをくれたこと。

今までみたこともない夢も見させてくれたこと。

どんな時も味方でいてくれて応援してくれたこと。

 

過ごした日々はとても幸せでした。

 

そして、あの哀しい出来事がなければ、私は気づかないことがたくさんあって。

そのことによって、いろんな価値観も考え方も身に着けた。

 

そのおかげで今日の私が存在できると思う。

 

 

きっと私だけではなく、相手もたくさん苦しい想いをしたこともあっただろうと今ならそう思える。

 

そのことでこれまでずっと心の中でたくさん謝ってきた。

届かないと分かっていながら。ずっと。

 

 

けれど今日は感謝の気持ちを伝えたい。

本当にありがとう。

もう二度と会うことはないだろうから、伝わることはないのだろうけれど。

 

 

トラウマにするのではなく、ちゃんと感謝して出来事と感情を切り離せたとき、やっと本当の意味で未来に進めるのだと思う。

過去をきちんと過去にすることができる。

 

 

ここに至るまで、だいぶ長い年月がかかったけれども。

哀しい思い出としてではなく、自分を築いた大事な1つのピースとして記憶しておこう。

 

ありがとう。

そしてさようなら。

 

 

 

心置きなく走り出そう。次のステージへ。

 

 

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