さおたむの激情派劇場

道なき茨道を超絶幸せに爆走する生き様を。

「普通」じゃなくて、ごめんね。

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ずっと「普通」な自分が嫌いだった。

特に優秀なわけでもなく、美人なわけでもなく、秀でたものがこれといってはない平凡な凡人であることがいつもコンプレックスだった。

 

気づけば、最近は普通だと言われることが減ってきた。

その代わりに、「変わってる」「変人」と言われることは増えてきたと思う。

 

昔は憧れていた「普通」から逸れた生き方。

 

その現実の中で待ち受けていたのは、「孤独」だった。

 

 

 

手に入れたのは自由と称賛

県立高校に入り、国立大学を出て、営業職として新卒で就職。

部活に熱心に励んで、普通に恋をしていた普通の田舎育ちの女子だった。

 

やりたいこともたくさんあって、その1つ1つはやってきたつもりだったが、大きな外れた挑戦はできなかった。

「常識的に考えたら無理だ」とか「普通そんなことしない」とかそんな言葉に縛られて、自分の気持ちよりも正しい選択をしてきたんだと思う。

 

ずっと、誰かが敷いたレールの上を、誰かの背中を追って歩いているだけのような感覚があって、それはそれで楽だったけれども、そんな自分が嫌で仕方なかった。

とにかくそのレールから外れたくて、大きな世界に飛び出して一人で道をつくってみたくて、そんな自分を誇りに思って、誰かの役に立てるような人になりたくて。

 

だから大好きだったやりがいのある会社を辞めた。

こんな自分でも何かできることを証明したかった。

 

 

そんな生活で手に入れたものは圧倒的な自由と称賛

 

何もかもが決めきれないくらい自分すべての手の中にあって、自分で選んでいろんなことに挑戦できるこの生活は、そりゃ想像していた以上にきつかったけれども、やりがいなんて言葉で表せないほど幸せだ。

どんなに小さな仕事でも自分の手で価値を生み出し、お金をいただけるというのは、社会から自分個人が求められているようで、いまだに感極まるほどの感情が湧き上がる。

 

 

それに私の考え方や生き方を称賛してくれる人も数多く表れて、自分の言葉や生き様で誰かに何かを与えられているのが嬉しかった。

尊敬している社長様方にも1人のビジネスマンとして話をしてもらえることも嬉しかったし、大きな期待をかけてもらえる幸せも感じている。

 

 

こんな感情を感じることができるのは、あの時自分が勇気を出して今までとは違う「普通」じゃない生き方を選択したからだと思う。

 

 

 

失ったものは数えきれない

 

このように普通を離れて生活するようになって、感じたことはこの世の中には普通じゃないことがたくさんありすぎるということだった。
だから普通のことを考えて、普通にしていたら、生きていけないような気がした。
そう思うほど、仕事だけではなく、いろんなことが普通ではなくなってしまったらしい。

 

普通を外れて得たものはたくさんあるが、同時にたくさんのものを失った。

 

少し遠めから見ればこんな生き方は羨ましがられることが多い。

けれど実際に身近にいる人間は心配が絶えない。

明日、どうなるかなんてわからないし、生活だって必死だし、病気になったらどうするのかなんてわからない。

毎日そんな瀬戸際で闘う人間の近くにいるのはきっと大変なことだろうと思う。

 

 

普通にちゃんと働いて、普通にちゃんと生活している人からすれば、きっと本当の意味で理解できないと思われているのだろうなと、本当に感じる。

 

 

だって私も昔思っていたから。

 

夢ばかりおってどうするのか。

将来のことはちゃんと考えているのか。

ちゃんと現実見ろよ。

 

 

自由に生きる夢を追う人に対して、憧れを抱きながらもそんなことを考えて、軽蔑して下に見ていた自分がいなかったかと聞かれると完全に否定することはできないと思う。

 

けれど、それが「普通」だ。

 

 

孤独の中でおもうこと

離れていった人だっている。

けれど、それ以上に深く踏み込まずに、浅く付き合おうとしてくる人が増えたと思う。

 

何度経験したって、それを感じる瞬間は何とも切なく虚しかった。

とてつもない孤独を感じた。

 

自分の道を進む自分には大切な人を作ることすら許されないのかなとも思った。

こんなことになるのなら普通に生きればいいのじゃないかとすら思うくらいに。

 

 

大切な人を傷つけたこともたくさんあった。

そんなつもりがなくとも、無意識に傷つけたことに気づいて、それが悲しかった。

「普通」に生きていればそんなこともなかったのにと自分を責め続けた。

 

 

ずっと心の中で「ごめんね」と繰り返し続けてきた。

 

ごめんね。普通じゃなくて、ごめんね。

普通に生きれなくてごめんね。

 

 

 

それは誰に向けている言葉だったのだろうか。

 

 

両親か、親友か、大好きな人達か、自分自身に対してか。

 

それは分からない。

 

 

ごめんね。それでもこれが私だ。

こうして一人、PCに向き合って言葉をつづる時もたまに孤独だなぁとは感じ悲しくなることもある。

普通に生きて、普通に会社にいって、普通に保障を受けて、普通に結婚して。

そんなものに憧れさえも抱くことすらある。

 

そんな風に生きることだってできるのに、そうせずこの孤独を選ぶのはなぜだろう。

 

もしかしたらただのプライドかもしれないし、自分の過大評価なのかもしれないとか考えることもある。

 

けれども、これが私だ。

 

 

普通ではないかもしれないけれど、一生懸命に生きているんだ。

 

不器用で、うまくできないことがたくさんあるし、

上手に器用に生きられないし、

情熱や愛情も手加減して伝えられないし、

本当に言いたいことは言葉にして伝えられない。

 

だから心配も迷惑もかけるかもしれないけれど、それでもこれが私だ。

 

 

 

責める必要はないんじゃないかな

離れていった人を責めることはできない。

私が私の道を選んだように、その人たちはその人たちの道を選んだだけだから。

どれだけ大切に想っていたとしても、一方通行では関係性は成り立たない。

 

 

だからといって、自分を責める必要はないと思う。

 

私は私だ。

 

求められる普通ではないかもしれないけれど。

そんなに器用に生きられないけれども。

 

それでも私は私だから。

 

それはやっぱり孤独だけれど。

 

 

本当に理解して傍にいてくれる人も必ずいるはずだと信じてこの道を進んでいこう。

 

 

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