さおたむの激情派劇場

道なき茨道を超絶幸せに爆走する生き様を。

早起きした朝に、PCの前でおもうこと。

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毎日、頭の中が五月蠅い。

 

24時間、何かしらの言葉や思想が頭の中で流れていて、どんどん次のイメージがふくらんでは消え、夢の中ですら次の仕事が流れ込んでくる。

書きたいことはたくさんあるしやりたいこともたくさんある。

そして、それはやらないといけないことでもある。

 

書かないとと思って早起きしてPCに向き合うけれども、書きたいことなんてとめどなく流れ出てきて、キーボードをたたき始めるのだけれども、どれもなんだかふわふわしていて、こんなんじゃない書きたいことは。これで何が伝えたいのか。こんなん誰が読んでくれるんだよ。これじゃ伝わらないよ。

もうそう考えだすとまとまらない。

 

このどうしようもない時間が一番苦しい。

 

誰かの目を意識した瞬間に、思考がこれまでも絡まりだすのはなぜだろうか。そのまま素直に生きていたら自然にできることが、時間の幅に収めたり誰かの思考に変に寄り添うことを意識した瞬間に色あせて分からなくなっていく。

 

伝わらなければ意味がない。けれどそんな軽く面白いとも思えないものを作ったところでそれはどれだけの価値があり、どんな意味があるのか。

そこのボーダーラインがいまだにわからない。

 

何者にも媚びぬ力がほしい

無理なら媚びる勇気がほしい

頷き 従う 勇気を

 

昨日、夜中に走らせた車の中で響いた歌詞がよぎる。

 

好きなものくらい好きだといいたい。けれど好きなものと好きだと言い続けるのは勇気がいる。周囲の目を気にしていれば、そんなことはできないし、確固たる自分があるかといわれればあるような気も、ないような気もしているし。

 

この進んでいる先は前なのか後ろなのかもわからない密林の中でどうもがけばいいのかもわからず、ただじたばたしている自分は周囲からみればただの阿呆なのだとは思うけれども、それでもそんな泥水すすりながらでも目指したい場所もあって、そんな自分を誇れないのかというとそうでもなくて。

でもたまにやっぱりそんな自分は無価値なのではないかとも思えて。分からないけれでも、ただ楽になりたくて、立ち止まっている方が苦しくて、分からなくてもただ足を動かすしかない。

 

病んでるとか何が言いたいかわからないとかいう言葉に押しつぶされて自分ではなくなることも怖いし、自分がどこにいるのかもわからない現状も怖くて、その中でベクトルだけを合わせてできることを精一杯して、周囲の称賛も素直には受け入れられなくて、でもそれでも僕は今日もこうして生きている。それだけで価値があるはずなのに。どうしてそんなに、そんなに僕の中に入り込んでこようとするのか。それとも僕が勝手に引き入れているだけなのだろうか。

 

優しくなりたいのに優しくはない自分が嫌いで、自分の好きな感度の高いアンテナに振り回されて、矛盾のあいだで、そのどちらもを成立させたくて、どちらも諦めたくはなくて。でもその欲張りが自分を苦しめていることも分かっていて、そんなことわかった上でそれでもやっぱりそんな矛盾を持ち得る人に光を感じてしまうのだから、もうきっとどうしようもないんだと思う。

 

素直に、全部言えたらどんなに楽だろう。けどそれはとんでもないリスクを伴う。ただの一瞬の快楽だ。そんなものには身をゆだねたくない。けれどつくりものの自分でいるのは嫌だけど、どれも作り物のような軽さも感じていて。

 

やっぱり今日も頭の中は五月蠅い。

 

 

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