さおたむの激情派劇場

道なき茨道を超絶幸せに爆走する生き様を。

男らしく生きてきたけれど、本当は誰よりも女でありたかった

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数十年前、女としてこの世に生を受けた。

それなのに、私はこの与えられた「女」という概念にずっと苦しめられてきたような気がする。

気づけば私は女でありながら、女という性別を恨み蔑み、男のように生きるようになっていた。

 

***

 

いつからこうなってしまったのか。それは思い出せない。

 

思い返す最初の記憶は幼稚園。

あの頃はまだフリフリの洋服を着て、お遊戯会ではお姫様役を熱演するほどに、自分を女だと認識することに何も違和感を感じていなかった。

運動はできなかったが、運動会では最後尾を笑顔で手を振りながら走る、少し変わった、でも自己肯定感の高い女の子だったのだと思う。

 

たぶん小学生くらいだろうか。

学校という一つのコミュニティの中で自分は周囲に比べて容姿が劣っているということがコンプレックスだと感じるようになった。

 

それは3歳下に生まれた妹に対する劣等感もあったかもしれない。

3歳も下に生まれた目がクリクリの可愛いその生き物は、少し先に生まれた私よりもどう考えても手がかかる為、大人がそちらにばかり愛情を注いでいるような気がしていた。

それは完全にただの私の勘違いであることは今大人になった私には明確にちがうことが分かるのだが、その時に勝手に感じた心の傷は今でも完全に癒せたとは言えないだろう。

 

家庭でも学校でも私は女でありながら可愛くいれないことが罪だという認識を持つようになった。

結局可愛いものは愛でられ大事に扱われる。

自分にはその資格がないとでも思っていたのだろう。

そう思いながら、女として生きていくのはただ苦しいものだった。

 

***

 

小学3年生になった時、なぜかバレーボールを始めた。

運動音痴だった私があれだけ嫌っていた運動を始めたのは、同い年で可愛くて運動もできるリーダー的な存在のYちゃんに誘われたことがきっかけだった。

バレーを始めればその子に近づけるとでも思ったのだろうか。その真意を考える間もなく、直感的にその選択肢に飛びついていた。

 

 

バレーボールを始めた私はそれまでに比べてだいぶ生きやすくなった。

 

それまで長かった女子の象徴である髪を短くし男の子のような容姿になり、女子トイレに入ろうとした時に男の子に間違えられるのにもすぐに慣れたし、その方が気楽になっていった。

週5日のハードな練習を繰り返すうちに徐々に運動もできるようになったため、気づけば毎朝男子の中に1人交じり、サッカーに励むようになった。

 

女子として生きているというよりも男としての人生をスタートさせたのはその頃かもしれない。

自分を男のように偽っていれば、女として求められることもなくなれば女として欠陥しているという劣等感も感じずにいられたのだ。

自分で作り上げた強烈な罪悪感と劣等感に苛まれていた私にはその方が心地よく感じた。

 

 

男として生きていくのは楽ではあったものの、その代償として心が引き裂かれるような出来事ももちろんあった。

 

基本的には恋愛に関してのことだ。

どれだけ私が好きになったとしてもそれが受け入れられることはほとんどない、学生時代を過ごした。

毎日かなり長い時間を過ごしていて、仲はかなりいいにも関わらず、私が好意を示すと

「お前のことは大好きだけれども異性としては見れない」

そんなことを何度言われたことか。

 

その度に私の心はズタボロになった。

もともと自分の女としての劣等感を隠すために男らしく生きてきたのに、その生き方すらも否定されているようで自分の存在意義すらも感じられなくなってしまっていたのだ。

 

それでも私は男らしく生きる道を選び続けた。

もはやその頃にはもうどうしたら女らしく生きていけるのかもわからなかったというのが正直な感情だったのかもしれない。

だから私は高校生までの学生生活において、青春と呼べるような楽しい恋愛事情は全くと言っていいほどなかった。

 

 

 

大学へ進学する際、少しは女性として生きていきたいと望み、高校3年生の後半には髪を伸ばし、黒から明るい茶色へと髪色を変え、スカートをはいた。

そんな私が大学へ進学すると、顔立ちもあってかギャルやチャラい女の子としての位置づけをされるようになった。

まったくもってそんな青春時代を送ったことなどなかったのだが。

 

そして大学1年生の時、私は女となった。

誠実で不器用な人だった。

ひさしぶりに自分自身が女であるということを認識した時間だった。

 

そうは言えども、それまで男になろうと生きてきた私がそう簡単に女になれるわけではなく、女として扱われることに慣れない私は自ら男と対等に扱われることを望み、男に張り合うようにして必死に生きていた。

 

時には女となり、時には男として生きる。

どちらもいいとこどりの生活はなんとなく居心地よくも感じていた。

自分で振り返っても男性からしたら可愛げなどない女だったと思う。

 

 

 

就活に見事成功し、第一志望だった不動産会社に入社することとなった。

新卒2人と社長、部員4人だけで行われた些細な入社式で意気込みを求められた私は、何も疑うこともなく、

「男よりも 男らしく かっこよく」

そんな標語のような自らのモットーを堂々と言い放った。

 

その発言にそこにいた全員がどよめきながらもそのやる気を買ってくれているようだったから、私はそうあることで評価をされるのだと、その時も自分の認識を再確認していた。

そこからも変わらずずっと、男性に負けないように男に勝てるように、馬鹿にされないように、そう思って男社会の中で男と同じ戦い方をしながら必死に走ってきたのだ。

 

ちゃんと結果を残すことはできたけれども、それでも私はずっと寂しさが埋まることはなかった。

 

 

***

 

誰よりも男らしく生きてきた私は、男性からも男らしいと評されることはよくあった。

その言葉は嬉しくもあり、何だか切なくもあった。

そういわれるということは既に私はその人の目には異性として映っていないということだ。

それが本当は哀しくてどうしようもないくせに、それでいいんだって自分に言い聞かせるかのように笑って喜んだそぶりをした。

 

ずっと男らしく、男に負けないように、かっこよくすることを追求してきた割には、普通に女として生きてきた女子以上に女でありたかった。

 

私は本当は不器用で強がりで弱虫だ。

だからそんな自分がばれないように、隠して必死に対等になろうとするしかできなかった。

けれど本当は誰かに甘えたかったし女として愛されたかったし可愛がられたかったし支えあいたかった。

女として見られないことが怖くて、自分の劣等感とそれ以上に自分の自尊心が傷つくのを恐れてそうするしかなかったのだ。

 

 

今振り返ってみれば、異常なほど男に対して敵対視して必死に男に負けないように闘ってきたのは、男に対しての私なりの復讐だったのだと思う。

 

私と本気で向き合ってくれなかった父親。

理不尽に殴ってきた小学生の頃の監督。

女子として見てくれなかった周囲の異性。

 

ずっと理解してほしかったのに理解されなかった幼少期からの私の寂しさが相まって、対等の立場になれれば、超すことができれば、その寂しさや呪縛から解放されて見返すことができるのではないかと心のどこかで思っていたのだろう。

 

どれだけ私が頑張って復讐に勤しんだところで、その傷つけてきた相手に傷を残すことも、私の寂しさが晴れるわけでもないのに。

 

 

***

 

女でありながら男らしく生きるのは正直つらかった。

どれだけ男になろうとしても男になれるわけではないし、どんどん女としても見られなくなる。

一度そのキャラを通してしまえば、もはや引き際なんて見失ってしまうのだ。

 

本当の自分の心の声を無視し続けて、外側からも内側からも心を抑圧して傷を残し続けているなんて、何て不器用で苦しい生き方をしているんだろうと私自身も思う。

 

 

もはや24年もこうして生きてきてしまった私が本当に女として生きていけるのか、それは私にもわからない。

けれども素直にいうとすれば、私は女でありたいのだ。

もう復讐の為に生きるのはやめよう。

まだその傷はうずくし、心から許せるかどうかは定かではないけれども。

 

それでも。

やはり女として生きていたい。

 

いつかこんなこじらせて素直ではない私をも受け入れて愛してくれる男性が目の前に現れた時に笑ってその好意を素直に受け取れるくらいは女でありたいと思う。

そしてそんな素敵な男性を私も女として精一杯愛したい。

 

誰よりも女でありたいと思いながら男らしく生きてきた私はそんなことを思った今日、女へ戻る道へ最初の一歩を踏みだした。

 

 

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